温泉旅行 夢のような温泉旅行

温泉に入って癒されてみませんか。誰でも簡単に身も心もリラックスできるのが温泉ではないでしょうか。
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雲仙温泉(うんぜんおんせん)は、長崎県雲仙市小浜町(旧国肥前国)にある、キリシタン殉教悲史の舞台で世界的に有名な温泉。日本初の国立公園(雲仙天草国立公園)に指定された温泉保養地である。
1990年(平成2年)に噴火した雲仙普賢岳の南西に位置する。普賢岳(平成新山)そのものは、妙見山を挟んで反対側に位置する為、直接見ることは出来ない。春はウンゼンツツジ(ミヤマキリシマ)を楽しむことができる。温泉街は噴気帯を囲むように存在し、地獄めぐりが出来る(無料)。
共同浴場は、湯の里共同浴場、新湯温泉共同浴場、古湯地区に湯の里温泉共同浴場、小地獄温泉地区に小地獄温泉館などが存在する。
開湯は701年(大宝元年)に、行基によって温泉山満明寺が建立されたことに始まる。同時に四面神を祀る温泉神社も建立されたとされる。
温泉地として開発が始まったのは約350年前、松平忠房の命により湯守を勤めた加藤善右衛門が湯宿(現在の湯元ホテル)を設置したことによるとされる。
幕末には吉田松陰が当地を訪れた。またシーボルトらにより海外へも紹介された。
明治・大正期には上海租界の欧米人の保養地として繁栄した。当時、長崎は上海の蒸気船などに対する石炭供給地であり、雲仙温泉及びふもとの小浜温泉とともに上海租界の後背地を形成していたのである。なお、ノーベル文学賞のパール・S・バックが一時滞在している。
長崎から雲仙・小浜両温泉への交通路は、諫早までの鉄道から先は最初は船による航路が開かれ、次いで島原鉄道、雲仙鉄道、小浜鉄道が整備された。しかし雲仙鉄道と小浜鉄道はバスにシェアを奪われ、ほどなく廃線となった。
1920年(大正9年)には吉井勇が当地を訪れた。
1934年(昭和9年)に国立公園に指定されるまでは、「温泉」と書いて「うんぜん」と呼ばれていたが、指定の際に雲仙と改められた。
1956年(昭和31年)6月15日、国民保養温泉地に指定。
1962年(昭和37年)3月10日、国民保養温泉地の範囲を小浜温泉まで含んだものに変更。

雲仙温泉(長崎県)


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